高原のとうもろこしー前編ー
夏の食卓を彩る甘いとうもろこし。
夏の信濃町では、毎日の景色にも、毎日の食卓にも、当たり前のように登場する特産品ですが、その栽培の歴史を遡ると昭和初期にまで至ります。その伝来起源から掘り下げてみました。
とうもろこし伝来の起源
昭和初期、ダニエル・ノーマンというカナダ人宣教師が来日し、東京、金沢、そして長野で伝道活動をしていました。長野では、軽井沢に代わる避暑地を探して野尻湖に辿り着き、湖畔に「国際村」という別荘地を作ります。その後、伝道活動は、アルフレッド・ラッセル・ストーンに引き継がれ、布教のみならず農村の発展に尽くしました。
当時、経済不況下にあって困窮を極めていた農村の暮らしを支えるために、ストーンは野菜組合を設立。外国からルバーブやトマト、アスパラガスなどの西洋野菜を持ち込み、地域農家に栽培を委託しました。その中にあったのが「クロスバンダム」という種子のとうもろこし。当時、村では在来種のとうもろこし「もちもろこし」を栽培していましたが、「クロスバンダム」の方が収穫量も多く甘みが強いと話題になり、村中に広まっていったのです。
農民の出身であったストーンは、農村更生と農業改良運動に全力を注ぎました。また、信濃町に昔から伝わる野鍛治へ電力機械を導入し近代化を図るほか、青少年や女性への教育活動や廃娼運動などを進め、地域の発展に貢献。「長野のストーンさん」という愛称で地元からとても親しまれたそうです。
信濃町のとうもろこしが人気を馳せるようになったワケ(仮説)
信州と新潟を結ぶ国道18号線が開通した頃、多くの方が上越市の海辺まで海水浴に行くようになりました。当時は高速道路がなかったため、夏になると国道は車で溢れかえり、大変な渋滞になっていたそうです。休憩地点として、涼やかな野尻湖へ立ち寄る方が増えましたが、湖畔には気の利いた食事処やお店がない時代・・農家が営むとうもろこし小屋だけが目にとまり、賑わい始めました。そこで、車で来る方に向けてとうもろこしを売り始め、渋滞のなか車でも手軽に食べられるとうもろこしが売れていったのではないか?!・・と、いわれています。
盛況の夏・大人気のスイートコーン!
真夏の道の駅しなのは大盛況!
朝一番に収穫されたとうもろこしが店頭にずらりと並びます。その品種は20種類以上。7月から8月のシーズンピーク時は、駐車場渋滞も稀ではありません。ひと夏の販売数は20万本に上るとか。
一般的な食用とうもろこしは「スイートコーン」という甘味種ですが、その中でもさらに3つの種類に分類されます。
それぞれの種類別に、品種改良が進み話題を集めています。
粒皮が柔らかく、糖度が高いとうもろこしは生のまま食べても美味しい!張りのある粒が口のなかでジューシーにはじける「シャキシャキ」とした食感が新鮮な魅力です。
ビタミンE、ナイアシン、葉酸を含み、不溶性食物繊維が9割を占めるとうもろこしで、夏の疲れを癒すのもまた一興。
高原のとうもろこしの収穫期間は7月から9月頃まで。美味しい食べ頃や、信濃町の気候風土については後編にてお伝えしていきます!