エンデキャンプ 2024 ー前編ー
8月23日(金)から25日(日)までの3日間、黒姫童話館にて第2回目となるエンデキャンプが開催されました。
ミヒャエル・エンデの本を読み、エンデの肉筆に触れ、エンデの思想を勉強し、時には音読をし合ったり、即興劇をしたりと、とにかくエンデが満載のプログラム。参加条件は「エンデが好き(まあまあ好きを含む)」となっているので、興味があればどなたでも参加できるキャンプです。森の散策やBBQなどもあり、中にはご家族揃ってのリピーターさんも。今回は大人12名、子供3名の皆さんで盛り上がりました!
1. エンデキャンプのテーマ
日本でおそらく最もエンデを感じられるであろうこの地で、仲間と出会い、エンデの資料に触れ、大きな自然に包まれることで、自分の中を流れる自分の時間に出会いなおそう。自分の中に眠るファンタジーと再会しよう。
当イベントの呼びかけ人である、影山 知明さん(国分寺市クルミドコーヒー店主)が進行役を担い、信濃町の大自然やエンデの言葉に心を通わせていきます。次第に参加メンバー同士が慣れ親しみ、エンデを通じて学び合う時間がおおらかに流れていきました。
まずは、エンデキャンプの開催場所『黒姫童話館』と、ミヒャエル・エンデについて詳しくご紹介していきます。
2. 信濃町の黒姫童話館
世界各国の童話や絵本、信州の昔話などを多く収蔵する黒姫童話館は1991年に開館。展示エリアでは五感を通じて童話文学の世界を感じられるよう、巨大な絵本の表紙をめくったり、鏡の通路を抜けたりなどと、館内随所に工夫がほどこされ、老若男女を楽しませてくれます。また、特定の研究者や文学者のみが立ち入ることのできる児童文学資料室が充実しているのも黒姫童話館の特徴です。
ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデは生前、自分のもつほとんどの資料を黒姫童話館へ提供しました。
3. ミヒャエル・エンデのコレクションがなぜ信濃町に?!
今から約33年前、信濃町では町立施設としての童話館を立ち上げようと、信州児童文学会の協力を得て企画を進めていました。世界の著名作家も紹介をしたいと考えた信濃町の教育委員会は、展覧会のために来日していたミヒャエル・エンデに熱意と構想を伝えます。これに共感をしたエンデは資料提供を決意。
エンデと親交の深かったドイツ文学者の子安 美和子さんの協力もあって、ドイツ国内に次いで最もエンデにまつわる資料が揃う施設となりました。
日本の伝説や怪談が大好きで東洋思想の世界観にも憧れたエンデは、黒姫童話館が開館する以前より、ドイツ語翻訳家の日本人女性、佐藤 真理子さんと再婚をしていました。エンデの資料が黒姫童話館に揃った後、お二人揃って来館したこともあるそうです。
4. ミヒャエル・エンデとは
ナチス党政権下の第二次世界大戦を経験したエンデ一家でしたが、ミヒャエル・エンデは幼いころから両親の愛情と芸術に対する理解に包まれて育ちました。
超現実的な表現を取り入れたシュールレアリスムの作品を描く父親エドガー・エンデは戦前から画家として成功していたため、一流の芸術家仲間が自宅のアトリエによく集まっていました。そんな環境でミヒャエルは絵と物語の楽しさに触れていきます。大人になってからは、父子で芸術についてよく語り合い、互いに影響を与え合う関係になっていきました。
5. 児童文学作家への道
児童文学作家として知られるエンデですが、劇作家を目指して演劇学校に入学し、戯曲や詩、小説を書いたり、時には収入のために映画評論家として働いた時期もありました。苦しい生活が続き、作家への道を諦めかけていた頃、イラストレーターの友人から絵本用の文章を書いて欲しいと相談を受けます。そこで書き始めた子供向けの作品が「ジム・ボタンの機関車大冒険」。当時エンデは32歳でドイツ児童文学賞を受賞し文学作家としての道が開かれました。
暮らしは安定したものの、売れっ子作家として広報活動に利用されることに困惑したエンデは、ドイツからイタリアへ移住。本当に書きたいものは何なのか静かに向き合い、10年の歳月をかけて書き上げていった作品が「モモ」だったのです。
つづく中編では、エンデの代表作である「モモ」「はてしない物語」に込められたエンデの想いに注目していきます。