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信濃町で出会う、本物のブルーベリーの魅力ー前編ー

7月中旬になると信濃町(しなのまち)中でブルーベリーが実り始めます。都市部では高級食材として知られるブルーベリーですが、ここ信濃町では各家庭の軒先で身近に育てられています。

ブルーベリーの食文化について遡ると、原産国アメリカでは古くからの原住民であるインディアンやヨーロッパからの移住者によって、野生種が収穫されていたそう。その後、欧米中で栽培が広がり、日本へは1951年に導入されました。

背丈の小さな子供でも簡単に摘み取ることができる小粒のブルーベリーは甘酢っぱく、時を超え、国を超え、愛されてきた果実です。


ハイブッシュ系ブルーベリーの栽培

世界には約150種類ものブルーベリーがありますが、ここ信濃町では寒冷地での栽培に適している「ハイブッシュ系」の品種が主に栽培されています。日本で初めてこの品種の栽培に成功した農園が信濃町にあることは、知る人ぞ知る事実。

香りと風味、さらに酸味と甘味が調和した優れた品質を誇る「ハイブッシュ系」のブルーベリー。青く結実した果実の中でも、ひときわ大きく肥大しているのが完熟のサイン。
青く色づいてから3日も過ぎれば成熟するという。

伊藤ブルーベリー農園の挑戦

針ノ木池のほとりに、老舗農園「伊藤ブルーベリー農園」があります。日本でブルーベリー栽培が試験的に行われるようになったばかりの頃から「ハイブッシュ系」品種の栽培に挑み続け、今では日本一良質のブルーベリーを産するようです。特定のレストランや販売店との直接取引のみで完売してしまう、一流のブルーベリー農園です。

園内に入るとすぐに、ずらりと立ち並ぶブルーベリーたちが出迎える。

先代の伊藤 國治さんが1971年より栽培を始めてから50年以上が経ちます。当時はアメリカへ渡って数々の生産地を訪れては学んだとのこと。温暖な気候向けの「ラビットアイ系」品種に比べ、寒冷地向けの「ハイブッシュ系」品種は国内での栽培に難航し、日本に導入されてから10年以上もの間、民間の営利栽培に至りませんでした。

信濃町の伊藤ブルーベリー農園が日本初の栽培ノウハウを確立し全国的な話題となったそうです。現在はご子息の伊藤 利定さんが、40品種以上を扱い、1200株を育てながら、国内各地での栽培指導にも当たっています。

日本ブルーベリー協会認定栽培士である伊藤さん。
そのお人柄はとても愉快で、笑いの絶えない取材となった。

良いブルーベリー農家に求められる技量は、<栽培環境に適した品種の選択> <栽培技術> <収穫技術> の3つ。品種ごとの特性を熟知している伊藤 利定さんは農園中を歩き回り、株ごとの状態と味を厳しくチェック。これは「チャンドラー」、こっちは「レガシー」、こちらは「バークレー」と、一本、一本、ブルーベリーの品種名を呼びあげ成熟評価をする姿には、愛情と熱意がこもっていました。

品種別のブルーベリーを食べ比べ。次から次へと摘み取っては口に運ぶ。

「色々な品種を混ぜこぜにして、口いっぱいに頬張ってみて。これが最高に美味しい食べ方だよ。」と教えてくれた伊藤さん。10粒ほどのブルーベリーを一気に口に運んでみると、新鮮な旨みと奥深い甘味に溢れたブルーベリージュースが口いっぱいに広がる贅沢な味わいでした。

農園中にひかれている柔らかいウッドチップ


自然と調和する農園

伊藤ブルーベリー農園では、土壌管理にも抜け目がありません。全ての株と株の間に細かな杉の皮を引き、土の温度が上がりすぎないように維持します。信濃町の土壌は、一般に「黒ぼく土」といわれる通気性に優れた火山灰土壌で、ハイブッシュ系ブルーベリーが好む水捌けの良い酸性の土です。

夏場の水やりはさほど要らないようですが、剪定は大切な作業。また冬に備えては1株ごとに雪囲いをし、2メートル以上の積雪の中にすっぽりと埋まった状態で越冬させることで、枝折と凍害を防ぎます。長年の経験値に裏打ちされた企業秘密ともいえる栽培ノウハウはこれに尽きません。

こまめに農園内の見回りを行う伊藤さんは、多少の気候変動にも動じません。農薬は使用せず、野生動物による被害もないようです。「日本の熊はブルーベリーを食べないんだよ。それに、目の前の山に住む鷹が、農園中の小動物に目を光らせているからね。動物は来ないよ。」と笑いながら話す伊藤さん。「偶然」の一言では済まされない、本物の自然調和を実感しました。


つづく後編では、ブルーベリーの収穫と出荷、美味しい食べ方などをご紹介します!

美味しいジャムづくりのコツとは?・・後編にてご紹介します!